春の陽。
良いか悪いかわからなかったタイミングの家族旅行を終えて、茨城へ戻っています。
市役所での諸用を終えて来たので、達成感。
茨城へ戻ることを、母と妹が「帰るの?」と表現するようになっていたのが面白い。
一つの大きな区切りを終えて、今思うのは、正解だったのかなんてことはわからないし、いつかわかるんだろうとなんとなく予感めいたものしかないのだけど、人生のどんな選択であれ、選んだ後に正しいと思えるように、自分の力で持って行くしかないのじゃないかな、と。
強がりでなく、そう思えます。今は。
誰よりも、長年恋人だった彼の幸せを、祈ります。またきっと笑顔で会える日が、くることを。
今隣にいようとしてくれている人には、求婚はされているけれど付き合ってくれとは言われていないので(それはそうだ)、戻ったら、そういう話になるのでしょうか。まだわかりません。
帰ってきたら、なにかベランダで植物を育てようって言ってくれているのが、先を願う約束のように思う。
妹が、おめでた婚の友達の話をしていた時に昨日ぼそりと言った、子どもがいたら違っただろうにね、の言葉がもたらした切なさは、一生抱えて、生きよう。
宛名のない手紙。
なんて書き出したらいいかわからない、こんな気持ちも久しぶりで。
一昨日と昨日は、眠る以外の自発的な行為を一切放り出していました。
頭の中にぐるぐると巡るのは、一節の言葉。
始まった頃は、こんなに穏やかにこの恋が終わるなんて、思いもしなかった。
年が明けた頃から、ぼんやりと形を取っていた思いがあって、それを告げたのは、私の誕生日。
今の私が、今までの私とは違うこと。好きなことをして、1日が24時間では足りない、私ではなくなってしまったこと。好きなことはおろか、身の回りのことさえ満足にできなくなってしまったこと。
誰かの気配がないと、1人では眠れなくなってしまったこと。日中も、1人では何をしたらいいかわからなくなってしまったこと。今までの自分を、記憶喪失で失ってしまったように思うこと。
憧れの職場があって、専門職を取って、そこに勤めて、上司や同期や後輩にも恵まれて、明るい未来しかない、努力家の君の側にだけいることが、辛くなってしまったこと。
会えない時間を償うように贈られる贈り物も、笑顔で受け取れなくなってきてしまったこと。
不意に送られてきた写真で、別の女性と写る君の笑顔が、とても眩しく見えるようになってしまったことに、動揺したこと。その女性と歩む未来も、君の道の先にはあるのだということ。
そんな君に決して、私の側にいるために、仕事を辞めてはほしくなかったこと。心から。
2ヶ月悩んで、12キロも体重を落としてしまったこと。
側にいた、7年という月日。
いつか描いた、当たり前のようにあると思っていた、未来のこと。
結婚という選択肢が視野に入ってきた時、長年付き合ってきたカップルが関係に終止符を打つ。
文字にすると、こんなにありふれていて、陳腐だ。どこにでもある話だ。
そんな話が、まさか自分に、私たちの上に降りかかってくるなんて、一体誰が考えただろう。
身の回りにある全てが、君との思い出を持っていて、自分から7年という月日が全て、欠けたようだよ。
いつかの先、きっと君といた未来を想う。
君が子どもを可愛がらないわけがないから。
きっと、子どもを抱いて、大好きなディズニーで英才教育をするんだろう。
奥さんに、記念日ごとに贈り物をするのだろう。
平日の帰りが遅くても、子どもの寝顔を毎日眺めるような、父親になるのだろう。
今も、この先も、願うよ。君に幸あれ。
君の周りの誰よりも、君が、幸せでありますように。
おとなのひみつ。
茨城で暮らすようになってから、できた友達がいる。ただし全員男性。
なぜならば、うさぎさんの職場関係の人としか交流がまだないから。
自分が働き始めたら増えて行くのだろうけど、来月から動き出す予定ゆえ。
今月は、生活リズムの確立に努めています。それだけでも一苦労。
うさぎさんは、年下の子たちに慕われていることが多くて(私もどちらかと言えばそうなので、似ているとも言える)、できたお知り合いはみんな私よりも年下。でも田舎の性、家庭持ちの子もたくさんいる。むしろうさぎさんの年齢で独身の方が、珍しいような環境。
そんな年下の子の1人と、うさぎさんと私と3人で飲みに行きました。
その子は結婚して2年目、子供もいるけれど、それゆえにか奥さんとほぼ夫婦間のスキンシップがないそうで、なかなか詳しい事情は聞けないけれど、子供は可愛いゆえに、とても、寂しいのだそうだ。
日付が変わるまで3人で飲んで、寒い中ほろ酔い気分で歩いて帰って、うさぎさんの家で続けて宅飲み。仕事明けだったうさぎさんはすぐ寝落ちしたけれど、その子と2人で私は、しばらく話していた。
明け方近くなって話した内容は、とてもここには書けない。おとなのひみつ。
布団に入りながら、私のパジャマの裾を引いてきた動作が、何よりも彼の寂しさを表していたように思う。
生きることは食べること。
全然興味はなかったけれど、野球を見るようになった。
夜のうちにお米を研いで、炊飯器をセットして、お味噌汁も作っておくようになった。
朝ごはんを作るのは交代制で、一日置き。ただし気温が氷点下の日は起きなくてもいいルール。
家族以外の、1人暮らし以外の、2人暮らしは、初めてのことがたくさんだ。
先週の土曜日は、母と茨城に来て、無事に食事を終えました。
みんな緊張していたけれど、最初の食事なら上々かな、という感じ。
次の心療内科の受診までは、茨城にいるつもりです。
今日も今日とて、寒いです。
うつリターン。#うつヌケを読んで救われたこと
たまには、こういう気持ちの時に文章を残してみようかと思います。
昨日から、朝目が覚めると、ひたすらに瞼が重いです。目が覚めることを、身体が拒否している感じ。
何度も瞬きをして目を潤すけれど、昨日も今日もお昼まで、朝ごはんを食べる気にもならなかった。つい先日まで、お腹が空いて目が覚めていたというのに。どこにいった、食欲。
昨日は本当に布団から出られなくて、ぼんやり携帯を眺めては、何度もうたた寝と覚醒を繰り返して、まともに動き始めたのは夜の19時。つまりはうさぎさんの帰宅時間。
一昨日のカレーを温めなおすことも、ご飯を炊いておくこともできなかった。
わたし、強制終了。体温は、平熱より少し高い、36.4℃。
今日は少しはマシで、お昼に布団を抜け出して、納豆ごはんを食べて、洗濯機を回して、後片付けをする。ただ、一度座ると立ち上がれない。何かに押し付けられたかのよう。
一昨日買った、うつヌケを読んでいなければ、また悪くなってしまったのではないかと絶望していたと思う。気温差が激しい月は、気持ちが落ち込む人が多いこと。知れてよかった。
少しブクログにも感想を残したけれど、この本は、うつの人の家族に読んでほしい。私が家族だったら、きっと救われていただろう。少しうさぎさんにも話をしたら、是非自分も読んでみたいとのこと。理解しようとしてくれる人で、よかった。母にも、勧めてみよう。
今は「父への恐怖」からはまだ、目を逸らしている。いずれ、向かい合うことが出来たなら。
今日はこれから千葉へ帰って、心療内科を受診して、仕事終わりの母と合流してカウンセリング。
明日は、うさぎさんと母と、茨城にてごはん。移動多くて疲れるだろうから、気をつけなければ。
立ち上がって、着替えなければ。外は、明るい。
健康って素晴らしい。
ようやく、消化器系が正常に働くようになってきました。
いかに、日々の幸せに、食べるということが関与しているか痛感する時間でした。
でもまだ、お風呂上がりの湯ざましと、辛いもの食べないのは継続中。
白湯は良いです。花粉にも効いている気がする。
そんな健康を取り戻した日曜日は、うさぎさんとお出かけ。
柏の三日月氷菓店のパンケーキが食べたくて行ったのに、まさかの店外の看板に日曜日はパンケーキやってませんという絶望的な一文を発見する。哀しきかな。
誉の味噌ラーメンを食べて、近くのハワイアンカフェで気を取り直して苺のパンケーキを食べて、カラオケでサカナクション縛りをして、一緒のお昼寝をして、帰って参りました。
お腹が痛くならないって、平和だ。
なんて、言っていたのに、月曜夜の恒例フットサルで、うさぎさんがまさかの脳震盪を起こす。
目眩と吐き気で車の運転が怖いとのことで、急遽茨城に飛んできた、昨日の午後。
相変わらず、何かにつけイベントの前には事件を起こすので、これはもうそういう星回りなんじゃないかと諦めかけています。
今週末は、茨城にて、うちの母と3人で食事の予定。さて、どうなることやら。