kananaの日記

名前変わりました。

過保護のカホコと、理想と現実。その先にあるもの。

過保護のカホコ、第一話を観ました。

前半は、なんだこの異次元世界は。。という感じだったのですが、

最後の、カホコがどんな仕事をしたいか、と気づく場面で不覚にも、うるうる。

「誰かを幸せにする仕事がしたい。」

きっと私にしか出来ない仕事があるはず、と続く。

 

私も、そうだったなぁ、と思い出しました。

基本的に病院で働く仕事は、誰かの怪我や事故や、

そういうできれば避けたい事象の後に成り立っていて。

誰かの不幸の上に成り立ってるんだな、と思ったこともある。

それでも痛い思いをしたり、病気になったあと元通りにするために、

元には戻らなくても、その人がその人らしく、

病気や事故なんてなかったみたいに、生きていけるようにするためのお手伝いをしたい、と思ってた。

今でも、その気持ちに大きく変わりはない。

 

でも、病院でばりばり働いていた舞台から、私は一度下りざるを得なくなって、

今は毎日、第一線で働くうさぎさんの後ろ姿を見ている。

彼は私が一年目の時に既に五年目、今では八年目で役職がついていて、

今彼の在籍する通所の事業所に、理学療法士は、彼一人。

私には見えないものが、きっと彼にはたくさん見えている。

就職前に、この道で生きてみようと思えた時に、側にいてくれた人であり、

そういう道もあるのか、と教えてくれたひと。

根っこの部分では、私と大きくは変わらないひと。

でも話を聞いていると、一人で出来ることの限界ばかりを感じている、ように思う。

 

患者様を見た時に、ああこの人は、こうすればきっとここまでは良くなる、とわかる。

どうすればいいか、少しは経験も知識も技術もある。

だけど五十人弱の利用者様に対して、資格を持つセラピストは自分一人。

そこにどれくらいの、絶望があるのだろう。

新人の頃は、先輩のように結果が出せなくて、教えてもらったり空き時間を作ってもらい見学したり、

休みの日は勉強会に行ったり、必死だったけれど、ある意味では明確なゴールがあった。

その先に、あるもの。

誰かの幸せをつくる手伝いをしたい、誰かの役の立ちたいと願う、その先にあるもの。

時間も資源も人手も限られた中で、理想を通すその方法。

 

きっとこの問いに、明快な答えはない。万人に共通の答えもきっとない。

私もまたいつか、きっとそこにいきたいと思う。戻れたらと思う。

それまでに、考え続けていきたいと、思ってる。